たき火~詩・ひとりごと

そのゆらめきは妖しくも優しい

YOUR MOTHER SHOULD KNOW

鍵のかかった一室で
母の帰りを待つ姉弟
母を通して見えた世界の
扉は固く閉じられて
暗闇に一条の光もなく
すでに意識は朦朧と
出せるものも出し尽くし
泣く力も果て横たわる
母を恨むことさえ知らず
絶望に逃げ込む術さえ知らず
恐怖におののき
混乱に泣き明かした日々の終わり
新たな扉が開かれて
温かい光が姉弟を包み込み連れ去ってゆく
そこがどんな場所かはわからない
けれどもふたりはそこで無邪気に笑っているだろう
哀れな母のために
哀れな母の分まで

ホーム


鼻を突く臭いに一瞬たじろぎながら
彼らの棲家に分け入ってゆく
都合よく一箇所に集められた人人人
今はただ順番を待つだけの身で
その群れの中に祖母はいた
半開きの口は不吉な予感に満ち
天井を見つめる瞳には何を宿しているのか
周りはそれぞれの役割を果たすべく動き出す
靴をはかせて車椅子に移すもの
肩を揉み出すもの
しきりと建設的な話題を持ちかけるもの
それを呆然と眺めて立ち尽くすもの
誰も彼女の背後に透ける必然について語らない
それがここでの所作であり
おそらく正しいことなのだろう
私の番がきた
彼女ははじめ私が誰だかわからないようだった
その衝撃を私はうまく受け流すことができた
彼女の手を握り自分の名を連呼する
くり返しくり返し
赤ん坊に説き聞かせるように 
すると置物を眺めるようだった彼女の眼がしだいに脈打ちはじめ
私の手を強く握り返した思うと
見覚えのあるくしゃくしゃな笑顔が現れた
彼女は私を認識した
生温かい手は私と祖母が同じ場所にいることを思い出させる
押し寄せる感情を周りに気取られぬよう私は必死だった
こんな瞬間でさえ気持ちを押し殺す自分を呪いながら
こうして私は荷物をひとつ降ろして
また新しい罪を背負い込んだ

酒飲み人

さあさあ、今日も一日ご苦労さん

週の真ん中通り過ぎ

お休みまではあと三日

それからそれも通り過ぎたら

お休みまではあと六日だ

今夜もこいつを飲みほして

頭のゴミを吐き出しちまおう

頭がからっぽなら怖いものなし

すべてが自然の産物になる

不自然が一番良くない

やつは人間をぎこちなくさせて

なにをしたってかみ合わない

全部が上っ面になっちまう

だから自然に勝るものはないよ

純粋な自然、自然の純粋さ

地球上でもっとも尊い知識人ですら、

知ったかぶりの疑念からは逃れられないんだから

だから今夜もこいつを飲みほしたら

明日もからっぽでいこうじゃないか

 

 

 

前髪

何でだろう

きみの前髪がぼくの顔にかかって

かゆくてしょうがない

横にきみがいて

無防備な寝息をたてていて

ふたりは今ひとつのはずなのに

かゆくてしょうがないんだ

 

完全な世界に生じた一点のシミが

徐々にぼくらの空間を蝕んでいく

気がつけば時計の針は一秒ごとに存在を主張し

冷蔵庫は夏の短い夢から覚めてうなり声をあげる

そう思えばきみはいやにリアルな一個の肉塊で

ぼくはきみの前髪にからめとられた悲しい小動物だった

 

 

 

 

健忘症

最後にきみと話したのはいつだったかな。

思い出せない。

昔のことはのっぺりした一枚紙に一緒くたに貼り出されて、

時系列がはっきりしないんだ。

確かなのはぼくはきみと話したことがあって、

思えばそれはとても特別な時間だったってこと。

 

それであの時何を話したかな。

思い出せない。

内容なんて大抵はあってないようなものだから、

誰と何を話したって。

でもきみにはとても大切な話があった気がする。

ぼくらにとって何か決定的な話が―。

 

ああそうだ―。

あの時、ぼくは確かに伝えなくちゃいけなかったんだ。

でも何を?

 

ぼくらはいつだって大事なことを忘れてる。

 

 

 

 

 

愛のテーマ

愛を着飾る所有欲

奉仕という名の悦楽

寛容に潜む余裕

楽天家に滲む悲哀

信頼と貼られた非常口

 

すべてコンビニのゴミ箱に棄ててこよう

華麗な手つきで

誇らしげに堂々と

 

それからもう一度戻ってみて

まだ処分されずに底の方に埋もれていたなら

 

今度は掻き出して掻き出して

ありったけの力で抱きしめて

土の匂い

遠い記憶の片隅に

置き忘れてしまったものがある気がする

それは私にとってなにか決定的なもので
かつて私の一部だったような気がするなにか

雨の日にわき立つ土の匂いに
脳を刺す電車の発車ベルに
踊るような少女のステップに
そいつの影を見た気がしてハッとするのだが思い出せない

決して忘れてはいけなかったはずのなにか

けれども私はこうして生きていて
問題といえばたまに泣きたくなるくらいのもので
無性に泣きたくなるくらいのもので
そういうものだと思って生きています