たき火~詩・ひとりごと

アウトプットのためのアウトプットです

2022/7/31

今日母親からまた金を借りた。借りたと言ってみたが、それは婉曲的に表現しただけで、実際上は受け取ったとしたほうが正しい。この年で金の無心をするのは社会通念がもたらす様々な心理的葛藤を乗り越えなければならないが、いったん乗り越えてしまえばあとは心地のよいそよ風に吹かれるて居直るだけである。

事実借りる前はなるべく自分を卑屈でみじめな存在として考えることに傾注し、背を丸めて哀願するような表情を浮かべ、まるで穴があったら入りたくなるような自分に仕立て上げるくせに、いざ借りる手はずが整ったらそれまでが嘘のようにすっくと立ちあがり、まるで何もなかったかのように夕餉の心配をする始末である。

もちろん借りた直後は幾分か自虐的な感興が湧きおこり、周りの事物に敵対的な態度の一つでも取りたくなるが、すぐにもうサイは投げられてしまったことを悟ると、自分という如何ともしがたい生物を極めて冷静に見つめることが出来るようになる。そして以後は何事もなかったように平静のマインドセットを維持しようと努める。

もちろんこの時に金の無心をした時のメールの文面などを見返そうものなら、一挙にピエロに徹していた自分が思い出され、どうにもいたたまれなくなるので少なくとも当分は振り返ることを控えたほうがいい。
いや、何事によらず過去というものは振り返って良かった試しなどない。どんなに甘美な思い出であっても我に返ると後悔と惜別、そして感傷的な余韻に引きずられ、それらはもれなく現在の自分を揺るがしていく。

自分の視座はちょっと前を見るくらいがちょうどいい。ちょうど散歩のときに前方にある小石をよけるくらいの距離感だ。あまり遠くを見すぎると酔ってしまうし後ろを気にしすぎても過ぎ去ったものはどうしようもない。しかしそれに気付くには少々回り道をし過ぎたみたいだ。